1966-10-17 第52回国会 衆議院 決算委員会 第3号
それから令嬢の塚田元子さんは同じく七十六万五千六百二十円、それから事務取り扱いの高橋事務官については六十九万七千百六十円、榊田調査員につきましては七十六万五千六百二十円ということに概算額はなっております。
それから令嬢の塚田元子さんは同じく七十六万五千六百二十円、それから事務取り扱いの高橋事務官については六十九万七千百六十円、榊田調査員につきましては七十六万五千六百二十円ということに概算額はなっております。
第二の問題につきましては、ことしの四月から厚生省の高橋事務官にソ連大使館の二等書記官として赴任していただきまして、それでいわゆる調査事務の、いろいろ向うにおられる人からこちらに、大使館にいろいろ帰りたいという陳情をしたり、いろいろな手紙などが来ているのを全部さばいて、こちらに連絡してもらって、仕事をしていただいております。
私は、すでにソ連政府に対して厚生省の高橋事務官を残留者の調査その他のために派遣をしておられることに非常に好意を持っておるものでありますけれども、その高橋氏は、向うでは参事官の地位を得られたのかどうか存じませんが、高橋氏の身分上の取扱いとその職務執行上の権限、そういうものがどうあるか。それからソ連政府は高橋事務官に対していかなる処遇を与えておるか。
ことしの第一期のときに御自分のやつた申告が十七万円、高橋事務官という人が担当しておりますが、この人に対して申告慫慂額が二十八万四千九十二円、十一万も上つて来ている。その理由としては、総売上げが六十六万と見て、これに四五%をかけた。そうして払えぬというなら行政処分をする、こういうことを言つているわけであります。
一行は不肖と金子與重郎君の二名並びに委員部の徳永参事、建設省の高橋事務官、農林省の畑江技官、以上三名を加えまして、現地被害状況の実情を調査をいたした次第であります。 まず調査班は十月一日東京を出発いたしまして、翌二日松山市に到着、三日、四日両日愛媛県下の災害現地を、五、六、七の三日間広島県、八、九の両日山口県の災害現地を順次調査いたして、十日に帰京いたしたのであります。
その当時の模樣によりますと、中村某、高橋事務官及び藤田という三人が当直をしておりまして、所長の宿所と言いまするか、そこは全然火の氣のないところでありまして、そこから四尺ばかり離れたところに民家の炊事場が継続しております。なるほど本人の供述によりますると、午後八時ごろにタバコをくわえたまま戸締りをしたということを言つているそうでありますが、火事は午前三時半であります。
○小笠原政府委員 司法省の高橋事務官から御答辯申し上げたいと存じます。
列席者、本省、療養課長、整備課長、野村技官、玉村技官、高橋事務官。患者側、藤田武一委員長以下代表者數名、外に傍聽者約八百名。この外眞穗七、山本眞吾、朴昌煕。職員の一部。
○一松國務大臣 過般お約束を申しておきました草津における栗生樂泉園患者の關係事件に關しまして厚生省といたしましては、八月三十日本省から療養課長、整備課長のほか野村技官、玉村技官、高橋事務官の三名を實地調査に派遣をいたしました。